世界の即興型ディベート事情 -競技・教育文化としての顔-

「即興型ディベート」は、国内だとあまり話を聞いたことがないかもしれません。今回はあえて国内には触れずに、海外の事情について、競技・教育・文化という、3つの側面からご紹介してみたいと思います。

競技面のディベート事情

まず、競技面では毎年年末年始に世界大会があることが特徴的です。近年だけ挙げても、トルコ、ボツワナ、ドイツ、インド、マレーシア、オランダ等文字通り世界中で行われています。一説によると「文系の学生中心のイベントでは世界最大規模」でもあるとか。参加者ももちろん多様で、ディベートと聞けば印象のあるイギリス、アメリカといった欧米の国から、最近ではマレーシアやイスラエルのような国も参加しており、2017年末に行われたメキシコの世界大会では選手約600人、審査員約250人が参加しました。ただ部屋に閉じこもっているだけではなく、毎日パーティもあり、特に年末年始のカウントダウンのタイミングで盛大に新年を祝います。

なお、日本からも過去に色々なチームが活躍しています。世界大会には英語圏での生活期間等を勘案した「Open部門」「ESL部門」「EFL部門」の3つの部門が存在していますが、過去に東京大学がESL部門で準々決勝進出、慶應義塾大学もESL部門でベスト16入りを果たしています。また、EFL部門では過去に東京大学や慶應義塾大学が優勝を飾っていますし、東京工業大学、京都大学等も予選を突破しています。

また、このような世界大会以外でもヨーロッパ大会、オセアニア大会等、各地域において大きな大会が存在します。アジア大会も年に2回行われていますが、過去に東京大学がベスト16入りしています。北東アジア大会では東京大学が2回優勝している以外にも、過去に神戸大学や慶應義塾大学も決勝に進出、最近では名古屋大学がEFL部門で準優勝しています。

教育面のディベート事情

授業の一環として教育ディベートが導入されていることもよくあります。例えば大学では、お隣韓国のトップの女子大学である梨花女子大学校が授業で即興型ディベートを行っています。また、部活という形なのか授業という形は存じ上げませんが、オーストラリアでは高校生に向けた授業やワークショップをシドニー大学をはじめとした大学生が担当することもあるようです。

他にも、教育ベンチャーとしても、即興型ディベートにフォーカスするものだけでも、私が知っているだけで韓国に2社、シンガポールに1社存在しています。「社会起業家」としてのディベーターも今後増えてくる可能性も十分にあるかと思います。

これらの教育面での訴求ポイントは以前「即興型ディベートの3つの効用と日本の教育への問いかけ」でご紹介したような点となっています。プレゼンテーション力、論理的思考力/クリティカルシンキング、英語力、知識といったところでしょうか。汎用的に必要な、いわゆる「社会人基礎力」的な能力が身に付きやすいというところでそのニーズが社会的にも存在していることの裏返しになっているかもしれません。

文化面のディベート事情

日本と異なる点として大きいのは、ディベートが「カジュアルな趣味」としても位置付けられていることかもしれません。例えばシドニー大学では、週末にさくっと社会人も参加するような大会がなされ、昼はピザを食べ、夜は近くのバーで打ち上げするようです。平日の夜も仕事帰りにOBOGがディベートのレクチャーを行うこともあるだとか。他のスポーツのように、まさに「文化としてのディベート」が定着しているようにも思えます。

もちろん「インテリのスポーツ」や「勉強家の趣味」のように見られる部分はまだあるようですが、それにしても「生涯スポーツ」「ライフスタイル」としてディベートを位置付けている人は海外だと多いように思えます。特に、いつになってもペンと紙さえあればでき、短い時間で議論を考えないといけないというプレッシャーの下、チームと協働して勝ちにいくという青春感全てトータルで「はまる」要素がたくさんあるのが文化面としてのディベートの定着に寄与しているのかもしれません。

いかがでしたでしょうか。海外では、競技・教育・文化としてディベートが定着しているようです。日本でも競技ディベーターが活躍していることを見ても、教育面・文化面でディベートが定着している背後にある理由をみても、今後日本でも即興型ディベートが文化になることは近い将来あり得るのかもしれませんね。

【note】
https://note.mu/akirakato/n/n42289f93183c

即興型ディベートの3つの効用と日本の教育への問いかけ

「この前、職場でふとした時に即興型ディベートが役立ったなと思ってさ…」

研究目的のインタビューであっても、ちょっとした思い出話に花が咲く食事のときにも、ついついこんな話題になることもあります。

初めに断っておきたいのですが、私は研究者として駆け出しであり、即興型ディベートの効用も日本の教育の課題も、まだまだ考察中です。一方で、今回は今までの10年の経験や研究から、ぼんやりと分かってきていることをご共有できればと思っています。

前置きが長くなりました。私は、即興型ディベートというのは、日本人が苦手と言われる能力や、今後さらに必要だとされている知見を得る絶好の機会を提供してくれてるのではないかと思っています

様々な研究がなされていますが、私は即興型ディベートの効用は3つあると思っています。それらは、①インプットとしての様々な社会課題に関する知識、②プロセスとしてのスピーディーな思考力、③アウトプットとしての論理的・感情的な分りやすさを意識したプレゼンテーション力です。(英語即興型の場合は当然英語力も身に付きますが、今回は省きます。)

まず1つ目のインプットとしての様々な社会課題に関する知識について説明させてください。即興型ディベートはテーマが毎回変わります。例えば2日間の全国大会だと最大8つの議題を扱います。議題は「投票を義務化する」のような政治、「国連の安保理の拒否権廃止」のような国際関係、「代理母の禁止」のような女性の人権/倫理等、多岐にわたります。議題発表後インターネットの使用は禁止されているため、事前に多くの知識を知っていくことが必要です。事実、先日学会でも発表致しましたが、現在即興型ディベートで最も身についた(同率1位)という分析結果が出ているのは女性、LGBT、障がい者のような世界のあらゆる人たちへの寛容性で、同率2位には知識がランクインしています。また先日、外務省・文科省後援の、Kyushu Debate Openという日本で唯一世界大会様式で行われている国際大会が国連が制定したSDGsへのコミットメントを発表したのも、社会課題への親和性の高さからです。

2つめのプロセスとしてのスピーディな思考力ですが、議題が発表されてからスピーチが開始されるまでは15分から30分しかありません。その間に議論を組み立てるためには相当なスピードが必要になります。巷でよく言われる「ロジカル・シンキング」と言われるような、主張を根拠に基づいて考えることは必須でしょう。また、所謂「トップダウン思考」「ボトムアップ思考」に加え、「相手が何を言ってくるか?」という論点や反対意見を意識した「ホリゾンタル思考」も必要になります。(この頭文字をとって「TBH思考法」と私は呼んでいます)

3つめのアウトプットとしての論理的・感情的な分りやすさを意識したプレゼンテーション力ですが、前回「いまだに誤解されるディベート ─ディベートの目的は”論破”ではない─」で取り上げましたように、即興型ディベートは議会を模しており、「政治家」である選手が、「一般市民」である審査員を説得出来たほうが勝利となります。そこでは、私やあなたのような一般市民を説得する必要があるので、まくしたてたり、論破を目指してただただイチャモンやケチをつけるような「ディベート1.0」的な選手は負け、論理的な分かりやすさに加え、感情にも訴えかけるような「ディベート2.0」を体現する選手が勝利します。なお、即興型ディベートの世界大会中には「パブリック・スピーキング」のコンテストも同時開催されたり、オックスフォードのディベート部はパブリック・スピーキング等のコーチによって指導されています。

そして、これら3つの身につくこと(社会課題に関する知識、スピーディーな思考力、論理的・感情的なプレゼンテーション力)は社会のあらゆる局面で重要になります。

2つ目、3つ目のほうが分かりやすいので先に話しますと、まずスピーディな思考力というのは、あらゆる業種で必要になります。もちろん準備にはじっくりと緻密に考えることが重要ですが、会議などでスピード感が求められる際に重要となります。特にグローバルで活動しようとすると、一部の文化圏では「すぐに質問に答えられること」が信頼獲得に繋がることもあります。私もカナダの高校で、「とりあえずすぐに質問には答え、その根拠は3つあると答えろ」と言われたこともあります。また、とある即興型ディベート経験者の官僚の方は国際会議で「日本人がしどろもどろになりやすい局面で、外国の官僚相手でもすぐに対応できた」ところを高く評価されて抜擢されたこともあったとのことです。

論理的・感情的なプレゼンテーション力も業種に限らず非常に重要です。良く言われることでもありますが、アカデミアの方や、企業の理系の研究職関係の方々とお話ししていると、「日本人は良いアイデアがあるがそれをうまく伝えきれておらず勿体ない」と耳にします。一部の即興型ディベート出身の研究者の方や院生の方の中には「即興型ディベートで身に着けた話し方は、論文の書き方にそのまま応用できる」という人もいます。また、私の後輩で日本や世界でトップクラスのコンサルティング企業で働いている人たちもまず上司に褒められるのはプレゼンテーション力のようです。

そして1つ目の社会課題に関する知識は、一見分かりづらいですがNGOや大学関連者だけではなく、企業も必要性が高まっています。少子高齢化等「課題先進国」と呼ばれる日本が、CSRにとどまらない、事業のど真ん中で競争戦略を構築する際に社会課題解決の観点が必要になることは、ユニリーバなどのサステナビリティ先進企業の経営戦略を見ても、経団連が掲げておりSDGsと密接に関係している「Society 5.0」を見ても、示唆されています。私はESG投資の高まり等、今後サステナビリティがより重要視される社会の中で、「社会課題解決力」はますます求められる能力になると思っています。

繰り返しになりますが、これらはまだ「可能性」・「問いかけ」です。今後研究を重ねていきたいと思いますが、即興型ディベートは社会課題に関する知識、スピーディーな思考力、論理的・感情的なプレゼンテーション力が身につくと思っています。そしてこれらは日本の教育においても重要なテーマなのではないでしょうか、と考えています。

【note】
https://note.mu/akirakato/n/n4eaa37770cd8

いまだに誤解されるディベート ─ディベートの目的は”論破”ではない─

ディベートは誤解されやすいです。最近はかなり減ったのですが、未だに一部のメディアではディベートを揶揄したような、所謂「ディベート1.0」的な論調を見ることもあります。

「ディベートって論破が目的なんでしょ?」
「ディベートって口喧嘩でしょ?」

ずいぶん昔にはこういうことを面と向かって言われてしまい、悲しい思いをしたこともありました。

確かに、「ディベート」という言葉を聞くと、ネガティブなイメージを想起してしまう人もいることはよく分かります。彼ら・彼女らは理詰めでまくしたて、特に相手の矛盾を執拗についてでも勝つことで快感を得るような人たちをイメージしているのだと思います。先日行われた学会でも話題にあがったのですが、これは、「ディベート1.0」時代にしっかりと「イケてる」ディベートができず、ディベートの性質や良さをアピールしきれなかった、私をはじめとするディベート従事者の責任も大きいと痛感しています。ですが、今からお話しするようなことを聞くと、「そうだったんですね!」とみんな口を揃えて下さいます。

ディベートの目的は、論破ではありません。私やあなたのような一般市民を論理的・感情的に説得することです。

本当のディベートには、審判がいます。そして、その審判をより説得できた方が勝ちとなります。文系の学生のイベントでは世界最大規模ともいわれる、毎年年末年始に行われる「世界大会」では、イギリスやアメリカといった欧米の国から、アジア、中東、アフリカ等文字通り世界中の審査員を前に、白熱した試合を繰り広げます。これは、あらゆるスポーツで審査員が判定を下すのと一緒の構図です。

では、審判を説得するにはどうすればいいのでしょうか?その前に少しだけ説明させて頂くと、ディベートには大きく2種類、議題が発表されてから数か月にわたって綿密に調査を行う「調査型/準備型」と呼ばれるものと、議題が発表後15分-30分後に試合を開始する「即興型」と呼ばれるものがあります。後者の「即興型」はParliamentary Debateとも呼ばれ、議会を模しています。政治家が市民に対してスピーチすることがコンセプトで、審査員を、私やあなたのような一般人だと想定しています。そして、そのような一般人を説得するには「何を言うか(Matter)」だけではなく、「どう言うか(Manner)」が同じくらい重要視されるというのが、ルール化しているのが特徴です。具体的には、まるで目の前で起きているかのような具体的な状況の描写やストーリーテリング、表情や身振り手振りのような非言語コミュニケーション能力なども勝敗に影響します。言い換えると、「論理的な分かりやすさ」の一本足打法ではだめで、「感情的な分かりやすさ」まで訴求しなくてはならない、ということかもしれません。そういう意味ですと、ただただ論破するディベートは、日本でも昔は多くあったのかもしれませんが、結局のところ「イケてない」という一言に尽きます。感情も揺さぶられないため、特に国際大会では一切通用しないのです。そういう意味では、人によってはプレゼンテーションに近いとおっしゃいます。最初の誤解に話を戻すと、粗い議論かもしれませんが、プレゼンテーション=論破である、のような等式は成立しづらいかと思います。

事実、世界トップクラスのディベーターを聞くと感動します。世界大会の最優秀個人賞を受賞したスピーチを聞いて、私の友人は涙を流したこともあります。イギリスやアメリカ、オーストラリア等、海外では”文化”としてのディベートが定着しており、一般人が大学等で開かれるパブリック・ディベートを見に行くことも少なくありません。スポーツのように、ディベートの国際大会で活躍するとテレビや新聞に取り上げられます。まさに世界では、「ディベート2.0」を体現していると言っても過言ではないでしょう。ちなみに、最近はマレーシアや、イスラエルなどが世界大会でどんどん活躍しており、「ディベート先進国」になりつつあります。彼らのスピーチは、本当に引き込まれるので機会があればぜひ聞いて欲しいと切に思います。

もう一度だけ言わせてください。実は、ディベートの目的は論破ではありません、と。

【note】
https://note.mu/akirakato/n/n654bbf0f2d0f